
登川直樹(とがわ・なおき)
東京帝国大学文学部在学中は、雑誌「映画評論」の同人となって、飯島正氏や清水昌氏たちと共に、早くから健筆をふるっていた。卒業後は、情報局に在籍。つまり「限りなき前進」や「陸軍」など、問題になった事前検閲の実態を知る数少ない生き証人でもある。戦後は一貫して映画評論研究の道を歩み続け、1960年からは日本大学芸術学部に教授として奉職。登川先生の徳化を受けた映画人は数知れない。カンヌ、ベルリン映画祭の審査員も勤め、国際映画祭の出席も多い。その意味でも、まさに燕尾服の似合う映画評論家である。
日本映画ペンクラブ会員。
白井佳夫(しらい・よしお)
昭和33年キネマ旬報社入社。43年から51年まで同編集長。読者の投稿を奨励して若い評論家を育成し、論争の場を作って映画論壇に活を入れ、他分野の文化人に映画論を書かせて映画ジャーナルの世界を豊かなものにした。評論に文化論的な視点を導入し、感性重視の映画分析を展開して映画評論の新しい形を開拓した。湯布院映画祭、徳島テレビ祭の立ち上げに尽力するほか、福祉問題と映画についても関心を寄せている。さらに戦中の日本政府と戦後のアメリカ占領軍による二重の検閲を受けた稲垣浩監督「無法松の一生」(昭和18年)のパフォーマンスによる復元にも力を注いでいる。東京芸大で三年間「日本の古典映画」講座を、東京国立近代美術館フィルムセンター小ホールを使っておこなう。日本映画ペンクラブ会員。
日野康一(ひの・こういち)
1929年生まれ。学習院大学出身の理科系。映画会社に入社して宣伝マンになり、NCC(ヘラルドの前身)で「赤い風車」「静かなる男」、MGMで「ベン・ハー」、日本最初のフリー宣伝プロデューサーとして「西部開拓史」など数々の大ヒット作にかかわった。1963年より現在まで、フリーの映画執筆者として雑誌、新聞に寄稿している。日本映画ペンクラブ幹事ほか、肩書きいくつか。また映画音楽ブームに火をつけ、ブルース・リーの紹介と香港映画の輸入エージェントをつとめ、初期DVDソフトの開発に協力した。日本映画ペンクラブ会員。
西村雄一郎(にしむら・ゆういちろう)
佐賀市生まれ。早稲田大学演劇科を卒業後、「キネマ旬報」パリ駐在員。帰国後、映像ディレクターとして、ビデオCM、ビデオ・クリップを演出。1985年から「古湯映画祭」の総合ディレクターを勤め、その功績により「佐賀新聞文化奨励賞」を受賞。03年には埼玉県川口市の「映像ミュージアム」を監修。佐賀新聞のコラム「シネマ・トーク」は、単独連載30年の記録を更新中。主な著作は「黒澤明と早坂文雄」(筑摩書房)、 「一人でもできる映画の撮り方」(洋泉社)、「巨匠たちの映画術」(キネマ旬報)、「シネマ・ミーツ・クラシック」(音楽之友社)など。今年は自作「黒澤明 封印された十年」(新潮社)のドキュメンタリー映画化に挑戦する。
渡部保子(わたなべ・やすこ)
福島県会津坂下町生まれ。本名は杉山保子。福島県立会津女子高校卒、日本芸術学部映画学科から映画世界社(『映画の友』と『映画ファン』を発行、編集部長は淀川長治氏)に『映画ファン』編集部員として同誌が休刊になるまで在籍、日本映画会の黄金期に多数のスターたちと交友を深めたことが、大きな財産となっている。08年にはそれをいかして名カメラマン早田雄二の遺した膨大なスターたちのポートレートから厳選した、昭和映画スター史ともいうべき『女神の時代-昭和が愛したスタア』と題するDVD全12巻の制作に協力・監修をつとめた。著書に『不死鳥伝説-美空ひばり青春の輝き』(主婦の友社刊)『「映画ファン」スタアの時代』(筑摩書房刊)あり。現在、地方新聞2紙に「映画評」を連載中。日本映画ペンクラブ会員。
平山 允(ひらやま・まこと)
1935年東京生まれ。早稲田大学第一政経学部卒業後、東京放送(TBS)にアナウンサーとして入社。芸能番組、ニュース、スポーツアナとして活躍。とくにラジオの深夜番組「バック・イン・ミュージック」では秘密結社「TBSシネクラブ」シャチョーとして、映画情報コーナーを長年担当。その間、「ロードショー」などの雑誌等で映画評を執筆する傍ら、「毎日映画コンクール」の司会と選定委員を25年以上にわたって務める。TBS退社後もTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」の映画コーナーの他FMラジオなどの映画番組を担当して現在に至る。日本映画ペンクラブ会員。
福田千秋(ふくだ・ちあき)
1937年東京生まれ。立教大学経済学部卒業。日本ビクター入社後、宣伝部を経て学芸部に配属され、「小津安二郎の世界」「木下恵介の世界」「七人の侍・羅生門」「犬神家の一族」等映画ものを多数制作。他に落語、漫才等の演芸ものも手がけ、「上方お噺子集」で芸術祭賞を受賞。83年からはビデオソフト事業部で映像制作プロデューサーとして活躍、ビデオディスク・マガジン「ムービーズ」ではアヴィック・ビデオ・アワードを受賞。映画部に異動後は「ハート・ブルー」「マルコムX」等の作品を担当する。ビクター退社後は、フリー・ランサーとしてDVDの買い付け、宣伝アドバイザー、書籍、イベントの企画のほか、スクリーン、キネマ旬報、この映画がすごい、文藝春秋、週刊文春、週刊新潮等への執筆、ラジオ番組の構成・出演等を担当している。日本映画ペンクラブ会員。
国弘よう子(くにひろ・ようこ)
FM東京のクラシック番組「音楽の森」のパーソナリティとして、山本直純氏。故立川澄人氏や、羽田健太郎氏とコンビを組んで好評を博した(14年間)。テレビ・ラジオ以外に雑誌に寄稿するなどライターとしても活動している。また、故淀川長治氏の番組などに参加し、直に数多くの話を聞くチャンスを得て、影響もうけている。現在、クラシックの司会、映画評論、コンサートの構成などに加え、福祉問題、社会問題などの取材にも取り組んでいる。日本映画ペンクラブ会員。
津島令子(つしま・れいこ)
秋田県出身。特技は空手と殺陣。鶴見大学英米文学科卒業後、女優活動のかたわらテレビレポーター、映画解説などを手掛ける。出演ドラマには「水戸黄門」「大岡越前」「はぐれ刑事」「はみだし刑事」「金澤能登殺人周遊」など。テレビ出演にはテレビ朝日「スターアルバム」フジテレビ「おはよう!ナイスデイ」TBS「モーニングEye」「ブロードキャスター」「報道特集」、ほかにTBSラジオ「生島ヒロシの情報一直線」東京中日スポーツ新聞・映画紹介&インタービュー等多数。日本映画ペンクラブ会員、ヨコハマ映画祭選考委員。
大滝 功(おおたき・こう)
国内最大級のアクセスを誇る映画情報サイト「映画生活」の初代編集長。現在はフリーのプロデューサーとして数々の映画サイト及び映画コンテンツのプロデュースを手がける。
島 敏光(しま・としみつ)
1949年6月22日、ジャズ・シンガー、笈田敏夫の長男として鎌倉に生まれる。高校時代にどっぷりと映画にハマり、年間200~300本の映画を鑑賞。プログラムのコレクションにも精を出す。1969年にニッポン放送のDJとしてデビュー。74年からミニコミ誌で映画紹介を始める。司会、ナレーション等を続ける傍ら、テレビの映画情報番組の構成を手がけ、新聞、雑誌等で映画評論を続ける。92年には祖父である故黒澤明監督の日常をつづった「黒澤明のいる風景」、その後も「ビートでジャンプ」、「永遠のJポップ」等、映画や音楽をテーマとした本を次々と上梓。現在は「映画で甦った黄金のオールディーズ」(音楽出版社)、「六本木ケントス物語」(扶桑社)が発売中。
瓜生 孝(うりう・たかし)
テレビの草分け。TBS(東京放送)1955開局早々、初の連ドラとして「日真名氏飛び出す」のロケ演出を専任。人生は出会う喜び、スタッフとして作者だった双葉十三郎さんから映画技術や映画史的な話よりも身近に「心を贅沢に沸き立たせてくれる最新作映画そのものの薫陶を受けて、今にして気づく達意の見識ある映画評論に、開眼」と、しみじみ。ながくTBS番組では新進気鋭だった荻昌弘さんの全国ネットワーク「映画の窓」「月曜ロードショー」を担当。大映テレビと7年ロングを組んで大ヒットの「ザ・ガードマン」のプロデューサーも。テレビ外画の日本語版制作は「スーパーマン」「名犬ラッシー」「サンセット77」の演出仕事が懐かしい。映像アナリストとして、放送批評懇談会ギャラクシー賞、民放賞、優秀映画鑑賞会、日本ファッション協会「シネ夢」選奨審査員を歴任。1930年東京生まれ。