
国際活動賞(田山力哉賞)
柴田駿 フランス映画社
フランス映画社の社長としての柴田駿の日本映画界での仕事は、もちろんこの会社の副社長であった故川喜多和子とのコンビで、大島渚監督の映画のヨーロッパの映画祭での上映を実現させ、その海外上映を図り、大島にフランス資本の日本映画の秀作「愛のコリーダ」を作らせた功績がとても大きい。それによって大島渚監督の名声は世界的なものとなった。その他、数々の日本の映画監督が、その作品の海外進出や映画祭出品で、この2人の世話になっているはずである。
柴田駿と川喜多和子は、私生活上でも良きパートナーであったが、その結びつきはこの2人がシネクラブ研究会を作って、日本で商業上映できない外国映画や珍しい日本映画の研究上映を始めたころに、ひときわ強固なものとなった。特に鈴木清順監督の全作品連続上映の企画が、日活の堀久作社長によって拒否され、鈴木監督の解雇にまでつながった結果、「鈴木清順問題共闘会議」が結成されるあたりの動きは社会問題となった。
やがてフランス映画社は、ジャン=リュック・ゴダール監督の野心作の日本上映と配給を始めるあたりから、異色の外国映画の日本輸入を本格化する。バスター・キートン作品の連続上映、BOWシリーズと銘うっての、世界の監督の秀作の上映などで、独特の地歩を日本の映画界に築いていった。
1940年大阪生まれの柴田駿は、東京外語大フランス語学科を経て、ユニフランスやフェリックスフィルムで活躍。フランス映画社を結成し、日本にミニシアターの新時代を作る。その後パートナーの川喜多和子を急逝させている。
( 白井佳夫 )